第2回は、話題になった「漫画における攻撃力と防御力」の由来から、連載デビュー作の「脳噛ネウロ」を描いていた頃の試行錯誤、松井先生自身が考える自分の才能についてのお話。
東
以前ネットで話題になった「面白さ、攻撃力、防御力(
詳しくはこちら)」の考え方に気づいたのは『ボーボボ』の澤井先生のところに入ったところあたりですか?
松井
先生
いや、そんなに昔ではないですね。自分がうまくいっている秘密、秘訣と言うのは何だったんだろう、人に伝えるためにわかりやすく言語化しようと思って考えた時に「防御力」っていう考え方が非常に近いと思ったんです。
東
『ジャンプの漫画学校』の講座で、「連載中のアンケートの動きは、上昇気流をつかんで急浮上しては、ゆるやかに下がっていって、またどこかで上昇気流をつかむということを繰り替えしていく。上昇気流をつかむことが攻撃力で、そのあとの落ち幅を少なくするのが防御力」とおっしゃっていました。これは『ネウロ』連載時にもう意識していたんでしょうか?
松井
先生
そうですね。『ネウロ』やっている頃にどうしても人気がトップレベルに食い込めなくて。当時はもう1番以外はジャンプじゃないと声高らかに言われていた時代なので、自分も生真面目なので真剣に受け取って。たぶんどの編集者よりも真剣に受け止めていたと思います。
でも編集者もみんな口で言っているだけで何も理解していない(笑) 順位はせいぜい真ん中を上下するくらいで、「何が足りないんだろう」と思った時、画力と言うのは簡単なんですが、それ以上に「華」というモノが絶対あるな、「華=攻撃力だな」とは当時も思いました
東
「華」…ありますよね。簡潔な言語化は難しいので、新人作家さんに伝えるのに苦労するのですが。
松井
先生
『ネウロ』の後半から、じゃあ今自分はモーターボートなんだから、それでどうやって他の看板作品=戦艦に立ち向かうのか、というのをずっと考えていて。
その結果として、『暗殺教室』で人工的に攻撃力を作り出したところはあります。それとは別に「読者コストを減らす努力=防御」をしっかり固めていかなければとは『ネウロ』の時点で気づいていたので、『暗殺教室』のときには漫画理論がほぼできあがっていたでしょうね。
東
具体的に、『ネウロ』のどの時点から「防御」を意識して描くようにしていたんでしょう?
松井
先生
『ネウロ』の時はサービス精神で「見やすくわかりやすく」は最初からずっとやっていました。漫研で一番最初の漫画を書いた時から、自分が見て嫌なものを人には見せられるはずもないですし。でもそれはある意味才能と言えるのかもしれないです。
東
「人のことを考えて作る」才能ですか?
松井
先生
小学校の時、最初に作った紙粘土も、みんなが動物とか作ってる時に自分はボウリングのセットとか作ってました(笑) 何度も何度もテストプレイして、ちゃんとできるかどうかまで意識して。実用性のある、価値のあるものを作りたいと言う考え方が当時からあって「じゃあ価値とはなんだろう、何をしたら価値なんだろう」と。そこは自然に考えられましたね、なぜか。
東
それは珍しいですね。一般的な子供からするとかなり特殊なスキル、マインドな気がします。
松井
先生
受け手を想定して作る意識が小さいころからあったというのは、目には見えないけど才能とも呼べるのかもしれません。
東
ボウリングなので、実用性はもちろん、人がやって楽しんでいる姿も想像しながら…ですか?
松井
先生
300円とか値札まで作っていた気が(笑)
東
儲けようともしているんですね(笑)
松井
先生
そうそう(笑)