進学や就職で絵と離れていた白井カイウ先生。退職後に一転「ジャンプ」作家を目指しますが、白井先生曰く漫画をつくる“目”がなかったがために、結果が出ない日々が続きます。
――漫画家を志したきっかけは?
白井
先生
仕事を辞めたあと、体を壊して1ゕ月ほど動けなくなって。そのときに「あぁ、このまま死にたくないな…何か形になるものを残したい」と思ったのがきっかけです。全然大病とかではなかったのですが。あと、それまでは進学も就職も普通に無難で安定した道を選んできたので、そういうレールから外れた、ちょっと違うことをしてみたくなったのもあります。
――「形になるものを残す」職業として、漫画家を選んだのはなぜでしょうか?
白井
先生
「ジャンプ」って絶対単行本にしてくれるじゃないですか。だからです(笑)。小説とか脚本とかは、単行本、本にならない可能性があるけど、「ジャンプ」は、連載までたどり着けば、必ず本にしてくれると思って(笑)。
――物理的な「形に残る」という意味でも大きいですね。
白井
先生
スタートの動機がそれだったので。でも馬鹿ですね。「ジャンプ」がどれだけ難しいか、そこは検討しないんだ、っていう(笑)。
――「漫画」というよりも「ジャンプ」だったんですね。
白井
先生
「ジャンプ」が好きでしたから。でも、絶対無理だって、自分には無理だって、思ってはいたんですけど、そこもちょっと馬鹿で。小さい頃、わりと絵を描くことに対して得意だった。私が野球選手になれる可能性を考えたら、もう万に一つも、億に一つも、完全にない!ってぐらいありえないと思うんですけど、漫画家は難しいけどゼロじゃないなと思っちゃったんですよ(笑)。漫画なんて描いたことないし描けないのに。
――漫画家を目指すにあたり「この期間までにこれができなかったら諦めよう」といった目標は設定されましたか?
白井
先生
期間とかそういうものは決めていなくて。「後悔したくない。挑戦してみたい」で始めたことなので、自分がやれるだけやった!と思えるところまでできたら、進退を決めるつもりでした。幸い収入はなくても、前職のおかげで貯金はあったので(笑)。だから、潔くはないかもしれないんですけど、とにかく悔いは残したくなくて。「どうやったらできるのかな」っていうのをひたすら模索、試行錯誤していた感じですね。
――漫画家を志してから最初に描いた作品は、 完成までどれぐらいかかりましたか?
白井
先生
憶えていませんが、たぶん1、2ゕ月くらい。数字だけを見たら、早く感じるかもしれないですが、あの頃はいろいろなものの大切さがわかっておらず、ネームも絵もとにかく雑だったので。反吐なクオリティの割には、時間はかかっています。
――実を結ぶ前に、持ち込みや賞へ応募するための作品は何作くらい描きましたか?
白井
先生
10作以上は描いたかな。本当にひどい出来のものばかり。どこになにを投稿しても通らず、箸にも棒にもかからない新人でした。忘れたい過去です(笑)。
――すべて白井先生が絵まで入れたんですか?
白井
先生
そうですね。ネームだけで応募したことは、1回くらいあったかもという感じです。でも全然ダメでしたね。あの頃は、とにかく”目”がなかったんです。どう描いたら賞を獲れるのか、どう描いたら読者の心に刺さるのか、欠片も解っていなかったし、編集者さんの言葉すら理解できていなかった。最低限のレベルにすら届いていなかった。
――その”目”というのは、漫画に対する洞察力や分析力、審美眼のようなものですか?
白井
先生
そうです。ただし、「読み手としての」目ではなく、「つくる側としての」目、ですね。話に対しても絵に対しても、自分が描いたものが、どのレベルで、どう見えていて、どう描いたら読み手に伝わって、という主観と客観とのズレ、そういう意味での良し悪しを見極める力がまったくありませんでした。
――その当時、製作中の漫画が行き詰まり、設定を再考して最初から描き直すことはありましたか?
白井
先生
それはないです。つまらなかったら即捨てるタイプだったので。設定ではなく、キャラや出来事を「こう変えたら面白くなるかな」みたいな切り口がある場合はそのまま描きます。それは今も昔も同じです。
――その切り口は、どうやって探して判断していたのでしょうか?
白井
先生
昔は、単に自分の「面白さ」の感覚のみで。“目”がなかったので、捨てずに描き続けたものもダメだったんですけど。でも、“目”を手に入れてからは、その判断の精度も格段に上がったので。やはり“目”は大事だと思います。取捨に迷うことも一切ないです。
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