【第2回】漫画家を諦めて、普通の学生生活を送る

担当編集がつくも、世の中の“天才”を目の当たりにして、漫画家への道を諦めた甲本先生。しかし、趣味として漫画を描いてwebに投稿した。

2024/03/23


――高校1年生のときに漫画賞に応募して、はじめて担当編集がついたんですよね。

甲本
先生

はい。漫画賞に2回くらい応募したら「最終候補まであと一歩」となって。僕についてくれた担当さんから「ストーリー漫画を描いて」と言われました。でも、その頃は15ページくらいの漫画しか描いていなかったので、30ページはとても無理だと思って。そこから、普通の高校生活を送り始めちゃったんですよ。

 

――同世代でクオリティの高い新人がいて、絶望したとも伺いました。

甲本
先生

漫画賞を受賞された三木先生です。僕の1歳くらい上かな。『改造人間ロギイ』がとにかくすごくて「同世代でこのクオリティ!?こりゃ無理だ」と…。

 

――それもあって、漫画家への道は諦めて普通の高校生活に戻ったんですね。

甲本
先生

はい。高校で部活に入って、勉強もちゃんとし始めて、彼女を作って……みたいな(笑)。漫画家になれないならば、このままではマズい、普通の人に戻ろうと思って。とにかく普通のことに挑戦しました。

 

――部活は何部に入ったんですか?

甲本
先生

陸上部です。それまでは帰宅部でずっと絵を描いたりゲームしたりの生活だったので、めちゃめちゃしんどかったです(笑)。

 

――絵や漫画は、描かなくなってしまったんですか?

甲本
先生

なんだかんだと描いていました。漫画賞を目指すのではなく、趣味で。その頃からペンタブを使い始めて、大学生くらいにかけてインディーズの漫画サイトに投稿して読者コメントをもらっていましたね。

 

――読者の感想をもらったのは、そのときが初めてですか?

甲本
先生

担当さんや友だち以外では初めてです。そのときに感じたのは、自分の考えと、読者の反応は違う、ということですね。自分がウケると思って描いたコメディより、シリアスっぽいものを描いたときのほうが反応がよかったんですよ。

 

――そのときの漫画は、シリーズものだったんでしょうか?

甲本
先生

そうです。ただ、1話6~7ページで、全8話くらいでした。

 

――読者の反応を意識して描いていましたか?

甲本
先生

そのときはまったく。趣味だったので。でも、いい経験でしたね。

 

――学校の中では「絵を描かせるなら甲本先生だ」というポジションでしたか?

甲本
先生

高校のときの文化祭の看板の絵を描いたりはしましたけど、そのくらいですね。

 

――充実した高校生を経て、普通の社会人としてやっていけそうだと自信がつきましたか?

甲本
先生

徐々に社会性は身についてきましたけど、進学のときに迷ったんですよね。美大に進んでそういう道を目指すか、普通の大学に行くか、で。でも、そのとき美大を選択しなかった時点で、将来は普通の社会人として生きていこうと思っていたんでしょうね。

 

――お母さまは美大出身でしたよね。進路に関して、ご両親に相談はされましたか?

甲本
先生

相談したけど、両親は「好きにしたらいいよ」と。そのくらいの年齢になると、自分は、絵を描くのがめちゃめちゃうまいわけじゃないことが分かってくる。小学生なら、ある程度うまければ周りからちやほやされますが、高校生くらいになると、うまい人は別格。画塾の見学に行ったときも、そういう人がごろごろいて「あぁ、そっか…」ってなりました。

 

――大学卒業後に就職した会社も、漫画とは関連がなかったんですか?

甲本
先生

関係ないです。広告系の営業職でした。

 

――就職活動のとき、漫画家への道と天秤にかけましたか?

甲本
先生

最初はホワイトそうな製造メーカーを目指していたんですが、ぜんぜんうまくいかなかった。志望動機がどうしても言えなくて(笑)。広告系の業界に方向転換して「ものを作りたいです 」と言えるようになり、うまくいき始めました。ただ、広告業界もどうやら安定した生活じゃないっぽいので、それなら「いっそ漫画家を目指そうかな」と考え始めてもいました。

 

――会社の内定をもらってからも、ずっと絵は描いていましたか?

甲本
先生

描いていましたが、それだけでなく仕事のための勉強もしていました。なので、就活後は、いつも図書館に通っていました。

 

――どんな勉強をしていたんですか?

甲本
先生

マーケティングのことや心理学、脳科学も勉強しました。ほかにもアイデアの出し方みたいな本も読んでいましたね。それっぽい本は片っ端から読んでいました。

 

――広告系の会社に入ってから、また漫画家を志そうと思ったきっかけは?

甲本
先生

想像と現実が思っていたよりも違っていたんです。広告業界って、もっと楽しそうだと思っていたので…。お客さんがいる以上、好き勝手できないし、そもそも営業として入社したのでメインではアイデアを作ることに関われないなって…。まぁ、当たり前なんですけど、そもそもブラックでしたし。

 

――退職後、ほかの職業も選択できるなかで、漫画家を選んだ理由は?

甲本
先生

そのときに、ちょうど『銀魂』と『斉木楠雄のΨ難』の連載が終わったタイミングだったので、「(コメディ系の)空きが出たか」と思って。

 

――2017年くらいですよね。目指していたのは「ジャンプ」だけでしたか?

甲本
先生

いえ、そのときは「少年サンデー」にも応募していました。『今日から俺は!!』みたいな漫画が描きたいな、と。だから自分の作風と合っている媒体に応募したほうがいいいなと思っていました。

 

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次回、紆余曲折を経て、再び漫画家を目指す甲本先生の日々は…?

  1. 【第1回】ジャンプ少年だった小学生時代
  2. 【第3回】漫画賞に再挑戦! 2年後に連載スタートへ
  3. 【第4回】目標に期限を決めて、死ぬ気で自分を追い込んだ
  4. 【第2回】漫画家を諦めて、普通の学生生活を送る

甲本一先生 Komoto Hajime

漫画家。第89回赤塚賞で『爆裂面接試験』が佳作受賞(柏崎康一名義)。2020年~2023年、週刊少年ジャンプで『マッシュル-MASHLE-』連載。

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