【第3回】漫画賞に再挑戦! 2年後に連載スタートへ 『マッシュル-MASHLE-』甲本一先生に聞いてみた

再び漫画家を目指すため、就職した会社を退職。夜勤のアルバイトをしながら、漫画を描き続けた日々。

2024/03/30


――退職後、いつまでに漫画家になれなかったら諦めようといった目標などは決めていましたか?

甲本
先生

2年で連載までいこうと考えていました。“3ゕ月後に最終候補に残り、半年後に佳作獲得。1年後に増刊掲載、 2年後に連載獲得…”と目標を定めて、それが無理だったら諦めるしかないと自分を追い込みました。

 

――そのタイムリミットは、どうやって決めたんですか?

甲本
先生

ほかのコメディ系の作家さんの経歴を調べて設定しました。長谷川先生や空知先生、麻生先生も、だいたい2年くらいで連載まで辿り着いていたんです。

 

――退職されてから連載が決まるまで、何作くらい描きましたか?

甲本
先生

5作です。

 

――ひとつの作品にかかる制作期間はだいたいどのくらいですか?

甲本
先生

2週間~1ゕ月くらいですね。2年という目標期限を設けていたので、雑でもいいからとにかく数をこなさなきゃいけない、と思っていました。

 

――めちゃくちゃスピーディーですよね。

甲本
先生

同級生たちが普通に社会人をしているなかで目指していたので、切迫感がありました。友だちとご飯を食べに行ったりすると、みんなはちゃんとした会社でちゃんと働いている(笑)。「奢るよ」なんて言われて、「オレもちゃんとしなきゃ。やるしかない!」って気持ちでした。

 

――『マッシュル-MASHLE-』連載に至るまでに、心が折れかけたことはありましたか?

甲本
先生

何度もネームの直しをしているときは、しんどかったですね。

 

――連載のネームを作っているときですか?

甲本
先生

連載ネームと、2回目の増刊のときですかね。

 

――『マッシュル-MASHLE-』の幕間で描かれていた、警備員のアルバイトをしながら漫画を描いていた頃、一日のスケジュールはどんな感じでしたか?

甲本
先生

夜勤のバイトだったので、16時ぐらいに起きて漫画を描いて、24時くらいから8時まで警備のバイトをしていました。バイトの社長に「漫画家を目指しているんです」と話の中で言ったら、「じゃ、休憩時間に漫画を描いていいよ」と言ってくれて。

 

――常に漫画のことを頭の片隅に置きながら、一日を過ごしていたんですね。

甲本
先生

そうですね。受験生みたいな感じでした。

 

――たとえば制作中の漫画が行き詰まって、新たに描き直したことはありましたか。

甲本
先生

めちゃくちゃありました。でも、読んでみて自分が面白くなるなと思ったら、設定は変えずに直していましたね。

 

――下積み時代は、描いた漫画を友だちに見せていましたか?

甲本
先生

後輩に漫画が好きな子がいたので、よく見せて採点してもらっていました。その子に言われたところを直してから、賞に応募していましたね。

 

――その後輩に言われたことで、いまでも覚えていることはありますか?

甲本
先生

「面白くない」「なんか足りないんだよな」かな(笑)。相手もプロではないので、アドバイスが具体的じゃないんですよね。

 

――そういう直感的な感想もいいですよね。

甲本
先生

すごく素直な感想ですからね。なにが足りないのかを探すしかない。ボリュームが足りないのか、盛り上がりが足りないのか、相手に訊きながら直していきました。

 

――こういうところを意識したら読み手の反応が変わった、みたいな学びは得られましたか?

甲本
先生

そのときの漫画は19ページくらいのコメディギャグだったんですが、直したら30ページくらいになったんです。シリアスなシーンを入れて、緩急をつけたほうがいいと分かりました。

 

――担当編集に言われて、今でも心に残っている言葉はありますか?

甲本
先生

最初についた担当さんに「俺たちはハンバーグ定食を作るんだよ」と言われたことは、よく覚えています。誰からも好かれる“王道を作れ”ってことですよね。

 

――甲本先生が描きたいものと、そのアドバイスは一致していましたか?

甲本
先生

一致しているところもありましたね。

 

――商業誌でやっていくうえで、インディーズの漫画サイトに投稿していた時代とのギャップは感じましたか?

甲本
先生

商業誌は人気商売なので、もちろんあります。そういうものを意識しながらも、自分のやりたいものを描くことを楽しみにしてがんばる、という感じですかね。

 

――離職してからの2年間で描いたものと、連載作品の『マッシュル-MASHLE-』で変えた部分はありますか?

甲本
先生

ガワ的な企画の部分は、いちばん変わっていると思います。僕、連載に至るまでモチーフがない状態だったんです。担当さんにも「面白いけど、なんの漫画だか分かりづらい。力の強いやつがいるだけ」みたいなことをずっと言われていて。そのあと担当さんが替わって「魔法学校に入れたら?」と言われたら「それだあぁ!」って(笑)。

 

――その頃の自分に、なにかアドバイスしたいことはありますか?

甲本
先生

ないですね。たくさん間違えてきたから、担当さんの言葉に素直に納得ができたんです。たぶん最初に「魔法学校」と言われても、自分が「これをやりたい!」という気持ちが強すぎて、耳に入らなかったと思います。2年間でだんだんそういうものが削れていったから、担当さんの指摘もすんなり受け入れられた気がするので。無駄なことをしておいてよかったですね。

 

――増刊に載って、商業誌での初めての読者アンケートの結果を見てどう思いましたか?

甲本
先生

「初めてにしては順調だな」とは思いました。ただ、担当さんから「こんな汚い主人公じゃダメだ」と言われて、2回目はキレイに直したんですけど、1回目とたいして順位は変わりませんでした…(笑)。

 

――そういうなかで「漫画家としてやっていける」と思ったきっかけはありますか?

甲本
先生

そんな確信は、いまだにないです。目標を期限内に全部達成していって、連載をとれたときは「1年くらいだったら連載できるかも」とは思いましたけど。

 

――「漫画家になってよかった!」と強く思った出来事はありますか?

甲本
先生

『ボーボボ』の澤井先生と、メッセージのやりとりをさせていただいたときです。「あぁ、よかった!」と、本当にすべてが報われました。

 

――どんなやり取りをしたんですか?

甲本
先生

センターカラーで『ボーボボ』の真似をしたときに、許可をとろうとお願いしたんです。「がんばってね」と仰ってくれて、すごく嬉しかったですね。

 

社会人漫画賞大募集中!

次回、社会人の漫画家志望者のみなさんに甲本先生から実感のこもったメッセージ!

  1. 【第1回】ジャンプ少年だった小学生時代
  2. 【第3回】漫画賞に再挑戦! 2年後に連載スタートへ
  3. 【第4回】目標に期限を決めて、死ぬ気で自分を追い込んだ
  4. 【第2回】漫画家を諦めて、普通の学生生活を送る

甲本一先生 Komoto Hajime

漫画家。第89回赤塚賞で『爆裂面接試験』が佳作受賞(柏崎康一名義)。2020年~2023年、週刊少年ジャンプで『マッシュル-MASHLE-』連載。

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